温泉にいこう +++ 結


さあ Paradise Believer 永遠を探そう…

パラダイス・ビリーバー/松岡英明



嫌になるほど、いい天気だった。いっぱいの日差しと高い高い秋の空。いわし雲が棚引いて、午後の怠惰な放課後を、小粋な秋の空気に演出する。いわゆる絶好の昼寝日和であったが、丹羽が向かう先は、学生会室である。週末の旅行先で、溜まった仕事はあらかた片付けていたので、今日は大した仕事はない、との目論見もある。要するに、日々の雑事をこなす相棒の顔をちょいと見て、『仕事なし』のお墨付きをもらった上で、改めて遊びに出ようという訳だった。
ノックはなし。声掛けもなし。いつものように、無造作にドアを引き開ける。
「よお。元気かよ」
そこには、いつもの作業机に陣取った、いつもの副会長。
中嶋は、PCから顔を上げ、丹羽に視線を流す。
「今日は、仕事ないんだろ?俺、いなくてもいいよな?」
にこにこ笑う丹羽に対して、中嶋の視線には色がない。これも、いつもの事ではあったのだが。
「…お前、俺に何か言いたい事があるんじゃないのか?」
こんな事を言い出す中嶋は、いつものようではなかった。
相手が何事かのアクションを起こしてからの、リアクション。起こされても、ノーリアクション。丹羽の知る中嶋思考は、そんなものだ。
つまりは、自分から動こうとする熱意と対象物に対する興味がない。
しかし、どうやら、今回の件に関しては少し違うらしい。
「成瀬は、ここに来たか?」
それに対する直接の言及は避けて、代わりに問うと、中嶋はついと眼鏡のブリッジを押し上げた。
「来ない。だから、訊いている」
多分、中嶋は彼ら二人が帰ってくるなり、怒鳴り込んでくるとでも思っていたんだろう。
「そもそも、怒鳴り込むつもりだったら、昨日の段階でお前の部屋に行ってるって」
己の予測と外れた事になっているのが不快なのか。尤もなその意見は、更に中嶋の眉根を寄せさせた。
ならば、何故だ。
中嶋の視線が、そう言っている。それを受けて、丹羽は軽く笑う。ものに対する興味の薄い相棒が、こんな顔をしている、させる存在があるというのは、本当に面白い。
実際、そうするつもりだったのだ。少なくとも、丹羽は。
啓太を騙して連れ出して、何をするつもりだったのかは知らないが、啓太とはあの後もうんと遊ぶつもりだったのだ。それを掠め取っていった罪は大きい、と。
荷物を纏めて、チェックアウト。すぐに駅に向かって、それでも、彼らの望むように、電車が速く進む訳でもない。そもそも、乗り継ぎ状況だって、あまりよくなかった。
彼らが学園に辿り着いたのは、結局、当初の予定とそう変わらない時間帯。
日も沈みかけた夕暮れ時。
「帰ってきたら、正門前で、啓太が待ってた」
肩を竦めての丹羽の言は、あまり親切なものではなかったが、中嶋はそれで納得したようだった。

お帰りなさいとごめんなさい。
耳と尻尾を垂れさせたような啓太は、それでも何か吹っ切れたように笑っていたから。
旅行中、見ることのできなかった輝くような笑顔を、あの時、見せてくれたから。
それで、全部、いいと思ってしまった。
少なくとも、啓太がそんな風に笑えるようになったんだったら、それでいいと。
中嶋には、ちょっと腹が立つけれど、と、これは多分、その時、隣にいた男とも共通の想い。

それで、この件に関しての興味は失せたのか、中嶋は視線をPCへと戻した。
また、何事か言われる前に退散するべき、と、丹羽は踵を返しかけたが。
「…おい。ヒデ」
どうしたって目に飛び込んでくる、そこに大量に積まれたものは、とても無視できるものではなくて。再度、今度は迷惑そうに顔を顰めた中嶋に問いかけた。
「何だ?これ」
「蜜柑だ」
確かに、それは蜜柑だった。蜜柑以外の何者でもない。それが、ざっと籠一杯分くらいはあったろうか、中嶋の机の上に乗せられている。
「いや、そりゃー見れば判るけどよ…」
冷然とした視線には、なら聞くな、の意がたっぷりと乗っている。
しかし。しかし、である。
「…何でまた、こんなに青いのばっかりなんだ?」
ぽつりとした呟きに返る言葉は、当然、ない。



蜜柑は無事、寮へ届いていた。まずは、寮長である篠宮へとお土産&お裾分け。そして改めて、旅行から帰った旨の報告を。
食堂で出会った滝にも、蜜柑を渡して。
「由紀彦と旅行やったんやって?」と、いかにも面白そうに目を輝かせる相手に、「王様と中嶋さんも一緒だったから」変な噂は流さないように、と、更に蜜柑を上乗せ。
美術部と生物室にも、顔を出した。画材にする、と顔を綻ばせた岩井は、「萎びる前に、食べて下さいね」と啓太に念押しさせ。海野は、トノサマの分も、と多めに差し出した蜜柑をとても喜んでくれた。
テニス部は、普段通りだった。練習に精を出す彼らは、常の如く熱心で、邪魔をしてはいけないと思って、部室の前に蜜柑を置いた。伊藤啓太より、とのメモを添えて。
そして、今。
「伊藤くん、旅行にお出かけだったそうですね?」
「はい、そうなんです。それで、これをお土産に」
啓太は、会計部へとやってきている。



丁度、お茶を入れるところですから、と部屋の中に招き入れられ、仕事中にすみません、とひたすら恐縮。引き込んだのは臣の方なのに、と西園寺にからかい混じりに笑われて。
いつもの遣り取り。いつもの会計部。いつものように、啓太は会計室で紅茶をもらう。
テーブルの上には、真っ赤な蜜柑。丁度食べ頃の時期を示して、甘く優しい芳香を放つ。それに、えへへと笑いを洩らす啓太に対して、会計部の二人は目元を綻ばせる。彼が、己らに心を砕いてくれることが、素直に嬉しくて。
だけど。
「旅行、楽しかったみたいですね」
七条が、いつものようでいて、そうでない、微妙な微笑みを浮かべて、啓太を見遣った。
「浴衣の伊藤くんは、とても可愛かった、なんて、成瀬君に、散々自慢されてしまいました」
「『可愛い』って…」
本心を全く覘かせない七条の微笑みは、踏み込んだら最後、決して抜け出せない底なし沼だ。
「ええ、ですからね。今度は、僕たちと一緒に旅行に行きましょう?」
確定ではない証拠に語尾を持ち上げて、だけど、その笑顔はどんな反論をも許さない。
「遠藤君も誘って、四人で。ね?」
遠藤を誘うとは、どうした風の吹き回しだ、との西園寺の視線での問いに対して。
甘く微笑んだままの七条は、目的達成のためには、ある程度の異物は許容すべきですよ、と、これまた、視線で返す。
相変わらず仲が良いなぁ、なんて、いつも啓太を羨ましがらせたり、寂しがらせたりする、二人の間でだけ通じるアイ・コンタクト。
しかし、こんな時、いつもだったら、ふんわりと照れたように、それでも嬉しそうに微笑って、頷くはずの啓太は。
「いえ、あの、和希とは、あの、ちょっと…」
言い難そうに、口篭もった。
おや、と、七条は軽く目を見張り、西園寺は不審げに眉根を寄せた。
「…伊藤くん。何かありましたか?」
「あったのなら、言え。聞いてやる」
学園内での当人不本意な通り名に相応しく、あくまでも大上段に、西園寺は足を組み直す。
「えっと、だけど、あの」
恥ずかしいから。
完全に顔を赤く染めて、何やらもじもじとし始めた啓太に、更に西園寺はくっきりと、その繊細な額に皺を寄せ。それに気づいた啓太は、慌てて叫んだ。

「…和希が、我が儘なんですーーーーーーっ」



『啓太が、絶対嫌ったりしないって言ってくれたから』
確かに言った。そう言った。だけど、物事には限度ってもんがあると思う。色々と。
昨日は、折角の満月だったのに、一緒に見たいと思っていたのに、結局、ろくに見られなかった。見させてもらえなかった、その様を思い出してしまって、思わず、身悶えしてしまう。あんまり、恥ずかしくて。
大体、和希は勘ぐりすぎ。嫉妬深すぎ。俺なんか、そんなにモテないって。
俺のことが『可愛い』なんて、そんなの皆、からかってるだけだよ。本気な訳ないじゃないか。
「そしたら、『そんな考えでいる間は、学生会と会計部には行くな』とか、訳わかんない事言うし」
学生会も会計部も、啓太にとってはどちらもとても大切な場所。啓太を受け入れてくれた優しい人達のいるところ。尊敬する先輩達の気持ちに少しでも応えたい、という思いで、これまで啓太も仕事を手伝ってきた。最近では、啓太だって、それなりにちょっぴりくらいは役に立てている、つもりだったのだ。
「大体、皆さんに失礼なんですよ、和希ったら!」
何やら、和希の目には、学園の誰もが啓太の事を好きで、隙あらば和希の元から攫ってしまおう、と画策している、ように見えているらしいのだ。
「ある訳ないじゃないですか、そんな事!」
完全に妄想の世界である。
「俺の事なんか欲しがる物好き、和希くらいだぁ!」

啓太にとって、遠藤和希の正体を知りつつ、啓太と彼との関係も知っている会計部の二人は、『王様の耳はロバの耳ーっ』と叫べる数少ない相手である。それはよく判る。
しかし。だがしかし。


「…どうする、臣」
「…どうしますか、郁」

「……えっと。…ど、どうしたんですか?お二人とも」

「…このままいくと、気づくのは、百年後かもしれないな」
「……それは、切ないですねぇ」


世の中には、物好きが溢れている。
伊藤啓太が、そう理解するには、若干の時間が必要なようで。


「時に郁。『物好きな変態』と『優しい先輩』では、どちらの方が割がいいと思いますか?」
「…ふむ」
「………あの。お二人とも、何でそんなじっと俺の事見るんですか…」


…本当に、若干の時間しか残されていないかもしれない。



END



こんなにページ費やしといて、バカ落ちかぁ!(ちゃぶ台ひっくり返し)という気分です。
だけど、ばかっぷる万歳。平穏な生活万歳。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。








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