君は僕の輝ける星


ハード ビター セミスイート
大好きな人に贈るのなら とびきり甘いチョコがいい
ミルク ホワイト ロイヤルスイート
貴方への想いが伝わるように
甘い甘いチョコレートを



「…バレンタインデー?」
啓太からのチョコレートで本当に1週間を乗り切った岩井は、久しぶりに食堂へと足を運んでいた。また体重が落ちた、と小言を言う篠宮によって、トレイにはどっさりと食料が積み上げられている。思わず、つきそうになった溜息を飲み込み、目の前の啓太の笑顔に励まされながら、それを小鳥のようにつついていた岩井は、己がすっかり浦島太郎と化していたらしい事を知ったのだった。
「…ああ、あのチョコレートはそういう…」
岩井の呟きに、啓太はくすぐったそうに微笑う。それに、思わず微笑い返す岩井。
そんな二人の間に流れるほのぼのとした空気とは裏腹に、啓太の周囲に陣取っていた、啓太フリークの面々は、絶対零度の世界にいた、といってよかった。
「…岩井さん。それはどういう事ですか?」
低い低い和希の声に。
「岩井さん、啓太のチョコ、持ってんのかいな!」
素っ頓狂な滝の声が被さる。
「それ、まだ残ってるんか?!売ってんか!学食チケット、5枚でええで!」
レアや、レア!と叫ぶ滝など、耳にも目にも入っていないらしい和希が、隣の啓太に顔を付けんばかりの勢いで詰め寄った。
「何で岩井さんだけ!?」
「えー、だって、和希、言ってたじゃないか…」



それは、2月に入ったばかりの頃の事。
何処がどうして、そんな話になったのだかは、もう覚えてはいなかったが、中学時代のバレンタインの思い出話、なんてものを和希に披露する事になったのだ。
いつも妹と母親がくれるけど、今、尋ねられているのは、そういう事じゃない。だから正直に、そんなの、部活の先輩や下級生から義理チョコを貰ったくらいがせいぜいで、なんて話して。
ああ、そういえば、なんて。
ほんの笑い話のつもりで、本当に、和希にも笑ってもらおうと思った話だったのだけれど。
「そーいえば、友達にチョコレート配った事あったよ、14日。もー、笑っちゃうくらい、誰も貰えないんだろうなー、なんて空気が漂ってる時でさー。俺が渡したら、『バカでー』とか言いながら、みんな結構喜んでた」
男から貰ったチョコでも、嬉しくなってしまう。それが2月14日の持つ魔力か、はたまた、男心の繊細さか。
だけど、和希は笑わなかった。
「…へぇ…」
なんていって。軽く相槌は打ったけれど。
妙に、真剣な瞳が気になりはしたのだけれど。
その時、ふと、思いついたのだった。
みんなにチョコレートを配ってみたら、どうだろう。
今回は、受け狙いが半分。お世話になった人達に、感謝の気持ちが半分。
だって、中学時代の友人達のように、例年、女の子からは貰えぬチョコレートを揶揄して、なんて、そんなの洒落にさえならないだろう人達だから。
丁度いい、とその場で和希に相談した。この学園でのバレンタイン事情などを聞きたくて。
そして、和希からの答えは、というと。

「学園の中枢にいる人達は、毎年、凄いらしいぞ。チョコが山になって。できるなら、見たくもないんじゃないのか?14日は」
学園の中枢。それは、いわゆる学生会、会計部、そして、自治会の寮長。
「海野先生?そりゃあ、あの外見だから。大人気だよ」
啓太が懐いている生物教師と。
「成瀬さんや岩井さんは、多分、外からも郵送でどっさり届くと思うよ。何てったって、有名人だしさ」
目下、最大の敵であるテニスの王子様と、繊細すぎる画家。
「運ぶ人も大変だろうなぁ、当日は。匂いで胸焼けするかもね」
学内デリバリーに至るまで、日頃啓太と交流のある人々には抜かりなく。
「お世話になった人達にお礼を、って気持ちは尊いと思うけど。今回は、止めておいた方が無難かもな」
上手く他は排除して、啓太のチョコを独り占め。それは、完璧な作戦であった。



「……………遠藤…」
ひんやりと冷たい呟きが誰のものであったのか。
既に、そんな事はどうでもいい和希は、更に啓太ににじり寄る。
「そうだよ!なのに、何で俺にはないんだよ!」
「だって和希は、それこそいっぱい、もらうのかなって…」
学園の中枢にいる+もてそうな外見+外からもどっさりもらえそう+いっぱいあっても胸焼けする。
和希は、テーブルに突っ伏した。
「…策士、策に溺れる、か」
冷静な中嶋のつっこみが、背に痛い。
和希の誤算は、自身の立場というものをきちんと把握していなかった事。
それでも、啓太に、もてそう、と思われている事は、ちょっと嬉しかったりする和希は、こと啓太に関してはとことんポジティブ思考の持ち主だった。
「だけど、岩井さんは、外から送られてきたチョコ、受けとらなそうだなぁ、と思って」
見知らぬ人から贈られた食物など、口にできそうもない人だから。
そして実際、岩井からの一任、という形で、篠宮によって食堂へと寄付されたというそれは、14日、学食のおばちゃんの手によって、食後のデザートのチョコレートケーキ、という、全校生徒への恩恵に変化した。
啓太の予想は、大正解であった訳なのだけれども。
「だけど、みんな、渡しても大丈夫なんだったら、渡せばよかったなぁ」
軽い笑いと共に吐かれた呟きに、皆が一斉に顔を上げた、その時。
「伊藤くん。僕は、甘いものが大好きなんです。知ってるでしょう?」
七条がそっと、啓太の手を取った。
「うわ、早!」
滝の喚きは、勿論、黙殺である。
「14日には、拘りません。僕は、伊藤くんからの気持ちが嬉しいんです」

「…『今からでもいいから、くれ』って言ってませんか、あれ」
「言っているな、明らかに」
ぽつり、ぽつり、と。
冷静な分析を入れる親友と理事長の冷たい視線もまた、綺麗に無視した七条はひたすら啓太を見つめ。
へどもどと赤くなった啓太は視線を泳がせ、そんな彼にまた、七条は甘く微笑む。
そんな二人の邪魔をしたいのは山々だが、啓太のチョコをほしいのは、また、自分も同じ。ここは、七条を止めるのが得策なのか、はたまた、このまま状況を見守るのが正しいのか。
そんな感情と打算とが入り交じる、微妙な空気をまるっきり無視できるのは、やはり日頃から、デリカシーがない、と言われる人物で。
「啓太が作るんだったら、俺の分も頼まぁ」
今だけは、周囲からの拍手喝采(ただし、心の中限定)だったのであった。

「会計部の犬にあって、俺にはないとは言わないだろうな」
「ハニーっ」
「はーい。俺、喰うで」
「僕、チョコレート大好きだよっ」

「えっと、和希と西園寺さんは…」
七条によって作り出された、それこそ、チョコレート並みに甘かった雰囲気から何とか脱出した啓太は、二人へと振り向く。焦っていた彼は、そっと手を離した七条が、今まで己に向けられていたものとは似ても似つかぬ視線を二人に当てた事に気づく事はなく。
「勿論」
「…甘くないものなら、な」
その視線を前に、受けて立つ、とばかりに、微笑んだ二人の強い瞳にもまた、全く気づかなかった。
「……西園寺さん。チョコってのは、甘いもんなんですよ」
「私は、甘いものは嫌いだ」
そもそも、啓太が、それこそ感情をコントロールすることにかけてはアルティメット級、海千山千の彼らに太刀打ちできる訳もなかったのだけれど。
「…えーと、できるだけ、甘くないようにします…」
そして、先程から言葉を発さない、そして、こんな時、欲しい、なんて、絶対言わない人。
「…あの。篠宮さんの分も、作ってもいいですか?」
料理上手の人に渡すには、ちょっと気恥ずかしくはあるのだが。お世話になっている、と言えば、一番、お世話になっているかも知れない人なのだ。迷惑にならなければ、是非、渡したい。
「え?あ、ああ…」
心なしか、赤い顔をした篠宮が頷くと、啓太は嬉しそうに笑う。ただ、それだけで、彼は暖かく和やかな雰囲気を作り出し、周囲に集うアクの強すぎる面々をまとめて引きずり込んでしまうのだ。
彼を挟んだ相手への牽制すら、どうでもよくなってしまうほど。
その微笑みを己だけに向けて欲しいと願っている事にも、気づいてほしくて、気づかないでほしい。
気づいたら、きっと彼の微笑みは曇ってしまうから。

未だ子供の彼が、まだみんなでいたいと願うなら。

後、もう少し、このままで。



君は僕の輝ける星。






『何で、岩井さんにだけ?』


渡したかったんだ、俺が。

執着や、欲、といったものが一切、抜け落ちてしまったようなあの人に「俺はここにいます」と言いたかった。

決して触れられない綺麗な星のようなあの人に。

遠く、地上から見上げるように、願いを掛ける。


今だけでいい。

時々でいいから、こっちを向いて。

忘れてしまわないで。ここに俺がいる事を。



この気持ちが、一体、どういうものなのか。

まだ、知らなくてもいい。

後、もう少し、このままで。



君は僕の輝ける星。






「これ、和希のね」
「あー、サンキュー。…でもさ」
「何?」
「その袋の中に入ってるの、これから配る分?」
「うん」
「俺のと同じ、小さい瓶が8個、と…」
「あー、何だよ、覗くなよー」
「……その、大きい瓶は、何な訳?」
「………………………………………………え?」
「小首傾げて瞬きなんかしても、誤魔化されるかーーーーっ」



チョコレートを詰めた小さな瓶。
学園MVP、アイドル伊藤啓太の手によるそれは、一部でレアアイテムと囁かれ、高値がつく事間違いなし、といわれたが、速やかに受け取るべき人の手に渡った後は、人目に触れる事もなく、まことしやかに囁かれる噂のひとつとして残る事になる。
しかし、それより少し大きな瓶を、美術室で見かけた人がいるとかいないとか。 やはり、それも今となっては、伝説の類となるのだけれど。



決して触れられない綺麗な星は。

「岩井さん!今、大丈夫ですか?」

「…ああ、構わない」

今日も、地上で淡く、優しく瞬いている。





END



岩井×啓太です。多分。…一応。
でも、ドタバタ・ハーレムは大好きです。








 ◆◆ INDEX〜FREUD