迷宮 +++ 王城にて act.3


その糸玉はきっと貴方を救うでしょう



中嶋の誘導尋問が上手かったのか、啓太があまりに素直かつ無防備だったのか、元々彼らがいた部屋、大聖堂特使の控えの間に戻るまでに、啓太という少年の素性について、訊ける部分の殆どを中嶋は訊き出していた。
啓太は大聖堂で育った孤児なのだという。教会が孤児院を兼ねており、育った子供を教会の下働きとして使うという事実は、知識として丹羽も知っていたが、大聖堂にもそんな者がいるとは知らなかった。「大主教様が治められているってだけで、中身は他の教会と変わりませんから」とは啓太の弁。思えば、大聖堂とは如何なるものか、彼ら俗世の者は書かれた文字としてしか、理解していないのだ。
しかし、大聖堂で育てられる子供はそう多くないという。一度は大聖堂へと保護された子供達も、その後はもっと、子供向きの環境の整った、近隣の教会に預けられる場合が殆どで、啓太が大聖堂で育つ事ができたというのは、実は希有な事であるらしかった。
「俺がここで生きていられるのは、大主教様と篠宮さんのおかげ」と啓太は笑った。
大主教がお情け深くも、幼かった啓太を哀れんでくれた事と、実際に篠宮が教育係となってくれたからなのだ、と。
アノがちがち朴念仁が教育係だったのか、と、丹羽は啓太を見下ろした。その視線に同情の念が篭もっていたのは、啓太にはしっかり伝わったらしい。ちょっと不服そうに唇を尖らせて、しかしはっきりと「篠宮さんはとても優しい人なんです」と言った。
「そりゃ、厳しいところもあるけど、それは俺が悪いからで…」ともごもごと続ける啓太は、流石に普段の篠宮がどんなものなのか、理解はしているようだった。しかし。
篠宮が優しくて、西園寺と七条がいい人となると、この少年にとっては丹羽と中嶋も、とてもいい人という事になるのだろうか。
わざわざ迎えに来てくれたいい人。啓太のにこにこ顔まで、目に浮かぶようだった。
そして、その時。啓太が言った。丹羽の最前までの想像通りのにこにこ顔で。
「でも、中嶋さんと丹羽さんも、とっても優しいです。わざわざお迎えにきて下さるなんて、すごく親切なんですね」
あまりにも想定通りで、驚きもしなかった。
丹羽はちろりと中嶋へと視線をくれる。王城で十人に聞いたら十人ともが、無情、と断ずるだろう男。そして、己を顧みる。中嶋よりは相当マシと自認しつつ、これまで立ち塞がる敵は完膚無きまでに叩き潰してきたからこその王城の主。
子供をこんな世間知らずに育ててしまうなんて、なるほど確かに大聖堂は子育てに適した環境とは言えない。
しかし、顔色一つ変えずに啓太のこの讃辞を受け取った中嶋と違って、丹羽の神経はもうちょっとばかり細かった。
「…いや。ただ、俺らは手が空いてただけだからよ…」
「そういうのを、本当の親切っていうんですよ。『溺れる人に手を差し伸べる時は、自身が溺れていてはいけない』って、篠宮さんも言ってました」
啓太のきらきらした視線に、もにょもにょと腹の底がむず痒い。
丹羽も中嶋も、そもそもの目的があってこの少年に親切にしている訳なので。
それにしたって、中嶋は本当に平然としている。判ってはいたが、改めて目にすると呆れ返る厚顔さだ。何だ先程までの甘ったるさで覆い被せたような物言いは。そのせいで丹羽は、共にいる居心地の悪さ倍増で、ここに至るまでろくに口も開けなかったというのに。
何とも言えぬ居心地の悪さ、更に言うなら自身では決して認めなかっただろう心の奥底の罪悪感の、匂いのようなものを嗅ぎとった丹羽は、明らかにそんなものなど毛ほども感じてはいない中嶋へと責任を転嫁した。中嶋に対して、たっぷり批判を含んだ視線を投げたが、当然のように中嶋はそんなものにはびくともしなかった。判ってはいたけれども。
不可思議な沈黙、丹羽にとっては些か不本意な、中嶋にとっては多分何という事もない、啓太にとっては恐らくは物慣れた…沈黙の行は、教会の技のようなものだから…、三者三様の沈黙は、しかし、長続きはしなかった。丹羽にはありがたい事に、目的地である元の控えの間はもうほんの目と鼻の先だった。
周囲の薔薇はとっくに白以外のものばかりになっていたが、風と光の通る気配は特に周囲を明るく華やかなものへと変えつつあった。この薔薇園がそろそろ終わるという、それは合図でもある。この先は、一気に拓けた場所へと出る。刈り込まれた芝生で敷き詰めたそこは、ちょっとした広場になっていて、時に日の落ちた後などに篝火を焚いた宴が催される事もあるのだ。
控えの間から張り出し床を通じて直接庭へと繋がる窓は、丹羽と中嶋が開け放して出てきたまま、布帛の帳が風に流され、揺れていた。
「ここなら、判ります!」
そりゃあそうだろう、と思いつつ見ると、啓太は心底ほっとしたような顔をしていた。
そこで、初めて知ったのだ。この少年が、どんなにか心細い思いをしていたかを。
ずっとにこにこしていたし、物怖じしないはきはきとした受け答えで心受けもよく、だから気づかなかった。初めて来た場所で、迷子になって、その上出会ったのは、気難しさでは右に並ぶ者もない西園寺と七条で…とこれは大分自身とその相棒とを棚に上げた意見ではあったけれど。
その時、啓太が急に駆け出した。その先に、白く長い裾を引いた服を身に纏った人の姿。篠宮が張り出し床から庭へと下りてくる、そこにまっすぐに啓太は走っていた。
「篠宮さん!」
ぼんやりした風に俯きがちだった篠宮が、弾かれたように顔を上げた。己の目の見たものが信じられない、そういった風情の男はただ、己へと向かう少年を見つめて。啓太は、彼へと向かうその足の速度を落とそうなんて考えつきもしない、そんな様子で。
体当たりするような勢いのまま、啓太が篠宮の懐に飛び込んだのと、篠宮がその両の腕を広げて啓太を抱き込んだのは、ほぼ同時の事だった。
まるで、どこぞの芝居のようだな。
半ば呆れ、半ば感心して、半ば口を開けたまま、丹羽は二人の様をただ、見ていた。
篠宮に抱き竦められた啓太は、何事か訴えでもしているようだ。恐らく「迷子になってしまって…」だの、「心配かけてごめんなさい」だの、「だけど大丈夫だったから」だの。そういった類の事を。しかし、その啓太のかける言葉が届いている様子もない。篠宮はただ、腕の中の啓太をぎゅうぎゅうと抱きしめている。もう二度と離さないとでも言いたいかのように。
近付く丹羽と中嶋…これは当然、歩いてではあったが…に気づいた様子も、少なくともその素振りは欠片も見せなかった。
これは、本当に篠宮か?
「…いい加減、離してやったらどうだ?啓太が苦しがっているようだぞ」
篠宮の様子を暫し観察していた中嶋は、その事にもまた飽きたのか、やがて口を開いた。その揶揄するような響きは、如何にも目の前で展開された一幕を面白い見せ物としていた事を如実に伝えていた。
その時、篠宮は初めて、丹羽と中嶋へと視線を向けた。顔を上げ、二人を見遣るが、しかし、啓太を離そうとはしない。ただ、二人が何故ここにいるのか訝しみ、もっと言うなれば、啓太を攫ったのが二人であるとでも思っているのか、啓太を己の腕に掛けた長い袖口と自身の体の影に隠すかのように、己の体の角度を微妙に変える。二人へと向けた視線は決して外さぬまま。
「篠宮さん!丹羽さんと中嶋さんが俺のこと、捜してくれたんですよ!」
抱き込まれたまま、できる範囲内で篠宮の胸元をぼすぼすと叩きながら、啓太は言った。その姿は、こんな事は慣れっこだと言い切るかのようだった。実際、慣れたものなのだろう。
啓太の言を受けて、まるで初めて見る者ででもあるかのように、篠宮は丹羽と中嶋を見返した。
不可思議に重い沈黙が下りた。対して啓太が、篠宮の腕の中で居心地悪そうに身を捩りつつ、篠宮を見て、中嶋と丹羽へと視線を転じ、そして、再び篠宮を見た。最後には、はっきりとした心配を面に刻みつつ。
ほんの数呼吸。如何にも仕方なくといった様子で、篠宮は啓太を解放すると、二人の方へと向き直った。
啓太は一歩、篠宮の背になる位置へと身を引いた。彼らの対峙を邪魔しないようにか、ごく自然と自身を目立たせないように、しかし篠宮を安心させるためだろう、離れた一歩以上の距離を置こうとはせず。
それでも彼が、腕の中の白い薔薇を丁寧に抱え直しているのがはっきりと見て取れた。それがひとつとして潰された様子もないあたりが尋常ではない。何しろ、最前までの篠宮は腕の中の啓太を抱き潰してしまいそうな勢いだったのだ。勿論、啓太が抱えたままだった薔薇の運命は言わずもがな。それが全くの無傷とは。
色々な意味で、この啓太という少年、只者ではないかもしれない。
彼の存外な冷静さを如実に表すこの事実に、少し今までとは違う色合いの目を向ける丹羽を置いて、目の前ではしゃんと立った篠宮がまっすぐにこちらを向いていた。
「どうやら、世話になったようだ…」
まっすぐに伸びた姿勢。隙のない所作。一点ではなく、全てを均等に映す視線。緩やかに落ち着いた声音。冷静沈着を絵に描いたような姿。
もう、丹羽の知る篠宮だった。
「気にする程の事でもない」
言いながら、たっぷりと溜を作ったその視線は、恩に着ろよ、と言っている。それもまた、丹羽のよく知る中嶋だった。未だ目の前の二人、篠宮と啓太とをどのように判断し、またどのように対応すればいいものか決めかねる、そんな観察の思惟を含んだ様子だったけれど。
「とても親切にしていただいたんですよ」
小声で言い添える啓太へと篠宮は視線を落とし、そして薔薇を見て、ちらりと二人へと目を流す。対する啓太は、小さく首を横に振って、「これは迷子になった先で頂きました…」と付け加えた。子供のような己の所行に対してか、些か恥ずかしそうに頬を染めて。
「…本当に世話になったようだな。恐れ入る」
顎先を引いた篠宮が、きっちりと頭を下げた。感情を含まぬ言葉ではあったが、それが不承不承為されたものではないという事もまた、正しく見て取れた。
合わせたように、篠宮の背後の啓太もまた、頭を下げる。
「どうもありがとうございました」
それが妙にちょこんとした様子に見えたのは、篠宮と全く同じ角度での会釈だったからだろう。啓太自身、そんなに小柄な訳でもなかったが、長身の篠宮と並べばやはり小さく見えるし、何より、こんな時の仕草が妙に篠宮と似通っていたりする辺り、小型版、という印象を抱かせる。
その教育の行き届きっぷりに、丹羽は無性に笑いたくなった。
肩を震わせる丹羽を不思議そうに見上げる啓太に、薄く口元に笑みを浮かべた中嶋が口を開いた。
「…啓太。お前は、もうすぐ15才になると言っていたな?」
唐突過ぎる言葉だった。
啓太に対するそれは、篠宮と合流してから初めての事だったし、彼ら3人だけだった時にも増して穏和な声音に、啓太は戸惑いを含んだ視線を中嶋へと向ける。
15才になった啓太は、将来の事を決めなくてはならない。大聖堂に残るのか…それは生涯を神に捧げるという事だ…、または別の道を捜すのか。未だ決めてはいないのだけれど。
先程まで共に歩いた薔薇園の中で、中嶋に尋ねられるがままに返した、それは答えだった。
加えての啓太の返答を求めてはいないのだろう中嶋は続ける。
「その時が来たら、王城に来るといい」
そして、まっすぐに見上げる啓太に対して、殊更に優しげに微笑んだ。
「俺達の仕事を手伝え。丁度、雑用係が欲しかったところだ」
「中嶋さんと丹羽さんの、お仕事?のお手伝い、ですか?」
啓太には、状況が理解できていないようだった。当然だろう。丹羽にさえ、中嶋の考えが理解できない。篠宮の養い児を手元に置く?そもそも大聖堂側は、啓太を次の特使として育てるつもりなのではなかったのか?
「えっと。だけど、俺、お役に立てるかどうか。…あの。そもそも、お二人のお仕事って?」
困惑を隠しもせずにその面に刻んだ啓太に、篠宮はぽそりと呟いた。彼もまた、中嶋から視線を外さぬまま。こちらはもっと用心深さと、有り体に言えば不信感とが滲んだものではあったが。
「…啓太。中嶋殿は、この国の宰相閣下。丹羽殿は、国王陛下だ」
「………………………………へ??」
その言葉の意味が理解できなかったのか、篠宮をまじまじと見遣り、篠宮の視線の先に鷹揚と立つ中嶋を見上げ、その冷徹の仮面に答えが書いていないのを訝しむが如くに眉根を寄せて、最後に啓太は丹羽を見た。
「……いか???」
「…区切って呼ぶな」
目をぱちくりさせて、ただ丹羽を見つめる、その瞳のまっすぐさが痛い。皮膚にちくちくとした物理的な刺激さえ感じるほどだった。
別に騙していた訳ではない。話していなかっただけで。だが、話しそびれたというよりは、より積極的に話さなかったのもまた、事実だ。だけどそれは、元はといえば、中嶋が己と丹羽の事を名前でしか紹介しなかったせいで。
なのに、元凶である相棒はといえば、目の前の好敵手と対峙する気概、または張りに溢れている。啓太の事も丹羽の事も、毛ほども気に留めた様子もない。
こういう奴だと、判ってはいたが。
「………閣下」
硬さの残るその声に、中嶋はふと吐く息と共に笑いを洩らした。本来の中嶋ならば、嘲うといった調子のものであったろうに、先程までの啓太への対応の残滓だろうか、いっそ不自然なほどに含むところといったものが見えない、それは微笑みだった。
「心配せずとも、貴殿の養い児を取って喰ったりはしない」
嘘くさい、と丹羽は思った。当然、篠宮だってそう思っただろう。
「彼の独立先として、王城はそう悪い場所ではないと自負しているのだが?大聖堂特使殿」
だけど、確かにそれは真実だった。
王城の女官となる事は、貴族の娘の行儀見習いとして最も格の高いものだったし、男子ならば更にそれは有用である。王城への伺候が許されるという事は、それだけで社会的地位を保証されるのと同義だった。日夜、王城の何処かで行われる宴に出席するのも、相応しい家格、または実績を持つ者同士、家と家、人と人との縁故関係を作るため。
その上、中嶋は啓太を『雑用係』として使うと言った。小姓扱いという意味合いも含んだその言葉は、しかし、それだけでは終わらないものをも示していた。つまりは、国家の中枢、政策決定の現場を間近に見られるという事。そしてゆくゆくは、政治の実務に関われるかもしれないという事だ。
それは、約束された未来という訳ではなかったが、啓太が実力をつけ、頭角を現してくれば当然拓かれるべき道であり、中嶋の申し出は言うまでもない好機というものだった。
こんな幸運は他にない。入手困難な招待状を手に入れたようなものだ。
「…啓太が望むなら、何であれ反対はしない」
極度に感情の抑制された声だった。常ならば、自然体で冷静に合理的に話を進めるこの男が今は、冷静に合理的に平等にあろうと己を律しているのだという事が感じ取れた。
「が、啓太の意に染まぬ事を強いる気もない。それはご理解いただきたい」
篠宮個人としては、気の進まぬものだったろう。しかし、啓太の将来を考えるならば、中嶋の誘いはすこぶる魅力的だ。その上で、選ぶのは啓太だと、彼は言う。
篠宮と中嶋は、まるで示し合わせたかのように目線を移した。
「ほぇ!?」
この二人から注視され、奇声を発した少年を責められる者はいないだろう。少なくとも、この場にいたもう一人、丹羽は啓太を責めたりしない。
しかし、この少年は根が誠実にできているのだろう、睨み合う二人の静かな戦争から流れ流れて、手前勝手にも回答を出す事を強要されている…丹羽には、啓太はただ二人の対立の、更に言うならばそれを狙った中嶋によって、ダシにされているだけのように見受けられる…というのに、うんうん唸って、何とか自分なりにそれに答えようとしている。
啓太の答えを待つ二人と、怖いもの見たさ故か半ば胸躍らせて、啓太を含む三人の様子を観察する丹羽。
不可思議な沈黙が下りた。
幾度か顔を上げ、また顔を下ろし、悩みに悩んだ内心を大いに曝した啓太が遂にきっぱりと顔を上げた。生真面目な様子で中嶋を仰ぎ見る。
「…えっと。俺、どう考えたらいいのか、よく判らなくて。すぐには決められないです。ごめんなさい」
そして、きちんと腰を折る。礼儀正しい所作だった。答えを出すまでの間、中嶋の顔も丹羽の顔も、養い親である篠宮の顔色さえ窺おうとしなかった事と相まって、それは丹羽の胸に好意的に留め置かれた。
素直で真っ正直な、心のままなのだろうとすぐに見てとれる啓太の笑顔。
「でも、中嶋さんの申し出はとても嬉しかったです。ありがとうございます。…あ。『中嶋さん』なんて、言っちゃいけないですよね。えっと、閣下、ですよね」
篠宮が中嶋を称するのに使った称号を模した啓太に、中嶋が薄く微笑う。
「別に、今まで通りでいい。お前が本当に俺の部下になるまでは、な」
自身の誘いを半ば蹴られながら、決して諦めてはいない事を滲ませて、それはそのまま篠宮への牽制でもあったのだけれど、啓太は気づかなかったかもしれない。
恥ずかしそうに頬を染めながら、それでも嬉しそうに笑う少年に対して。
「俺のことも、陛下なんて呼ばなくてもいいぜ」
丹羽は、これは啓太に倣っての本心のみの言葉で告げる。
「はい。ありがとうございます、王様」
その素朴な尊称は、丹羽には新鮮な響きに満ちていた。
ああ、そっちの方がずっといい。
正直な感情と素直な言葉と輝くような啓太の笑顔。





「…帰っていったなぁ…」
ぽつりと呟き、丹羽はしみじみと息を吐いた。対する中嶋は、無言のままだったが。
アレ以降、中嶋はろくに口を開かなくなり、そんな中嶋と入れ替わるように、丹羽は啓太とたくさんの話をした。大概が他愛のない話ばかりであったが、啓太は話す言葉ひとつにも素直で正直な気風が表れていたし、何より一緒にいて心地良い相手だった。その短時間でも、丹羽はすっかり啓太が気に入っていた、そんな心境のそのまま表れる、それは感嘆の息だった。
大聖堂差し回しの馬車を、国王と宰相が二人揃ってお見送りという異例の事態に目を白黒させる出口門担当の役人は軽く追い払い、しばらくの間、丹羽と中嶋の二人きりである事は確認済みである。少なくとも、小声の話を拾われる程、近い場所に人はいない。
「お前の申し出、ほら、啓太が王城に来たらってヤツな。本当に来たらいいよな。あいつ、面白いし」
対する中嶋は、ちろりと隣に立つ相棒を見遣り、そして、深々と息を吐いた。勿論、これは感嘆の息ではない。
「…あれは、単に篠宮への揺さぶりだ」
「うん。それは判ってるけどよ」
あっさり頷き、更に続ける。
「だけど、来たら楽しいってのは変わらないだろ?」
対する中嶋は無表情で、だけど、彼が否定しないのはその意見に反対ではないからだと、その程度には丹羽は中嶋を知っている。
「……篠宮が、あれ程可愛がっているというだけでも、利用価値はあるからな」
更に、こういう時に露悪的な言葉を吐く男だけれど、それが彼の考えの全てでもないという事も。
「あー、あれは驚いたよな。いや、篠宮も人の子ってゆーかさ」
常に冷静という共通点はあっても、中嶋とは相容れない堅物真面目な大聖堂特使が、あんなに子煩悩だなんて思わなかった。更に言うなら、とんでもなく過保護だし、あれは啓太を溺愛している。二人の間を流れる空気だの、啓太から目を離さない篠宮の様子だの、篠宮がどんなに啓太を大切にしているか、その気持ちだけは疑いようもなかった。
少し、篠宮を見る目が変わった。良い方に、だったが。
そんな心情を語る丹羽に、中嶋は薄く口元に笑みを掃いた。常に共にいる丹羽をして、タチの悪いと称させる、何か企みを秘めた彼の、それは笑みだった。
「実際のところ、啓太が篠宮の愛人であっても、俺は驚きはしないがな」
瞬間、丹羽の思考は完全に停止した。
いきなり、何を言い出すのか、この男は。
いやいや、徐々に遠回しに言えばいいという訳ではなく。だから、つまり。
「いや、ちょっとお前。驚けよ。可笑しいと思えよ、可笑しいからよ。つーか、お前の脳みそ、どうなってんだよ。そんなんあるわきゃねーだろ、アノ篠宮とアノ啓太だぞ?!」
実際、『アノ』啓太などと言えるほど、先程出会ったばかりの少年の事を知っている訳ではなかったが。
「啓太は、子供だろーが!」
「15は、子供とは言えんな」
現実問題、15才となったら、子供としては扱われない。勿論、未だ成人であるとも言えなかったが。
「まだ15じゃない」
憤然と、丹羽は言い切った。篠宮が子供に手を出す輩とは思えない。少なくとも、何があっても、15才になるまでは何をするはずもない。
「…ま、それはそうなんだがな」
あっさりと中嶋は返した。丹羽が拍子抜けしてしまう程、それは拘りのない様で。
「アレは融通が利かないからな。ああいう人間は、どうでもいいようなものに義理立てして、行動を縛られる。まぁ、だからこそ、読みやすい」
動かし難くもあるがな、と、これは嫌そうに続けた中嶋は、己をまじまじと見つめる相棒を斜眼で見遣り、そして薄く微笑う。
「絶対にないと確定されるまでは、どんな事でもあり得ると思った方がいいな。お前も判っていると思っていたが」
「……うわー。タチ悪ぃ」
心の底からの丹羽の呟きに、こちらも心底楽しそうに中嶋は笑った。





来た時にも思った。別に馬車でなくてもいいのに、と。大聖堂から王城は、そんなに遠くなくて、啓太だったら歩いてもいいと思うくらいの距離しかなくて。
だけど、本当は馬車で行くのが相応しいとも思える、王城は、そんな近くて遠い場所だった。
「…啓太、王城はどうだった?」
啓太は15才になるまでに、たくさんの物事を見るべきだと、篠宮は言った。
今まで見えなかったものを見て、知らなかった人を知って。何よりも世界を知って。それから、将来を決めたらいい、という養い親の心遣い。
その一環としての王城訪問は、篠宮の言葉を確かに体感させてくれるものだった。
巨大かつ壮麗な宮殿と、夢のように美しかった花園。そして、あの空間に生きるに相応しい人達。
大切そうに白薔薇を抱きしめて、啓太は微笑う。
「すごくね、すごく、面白かったです。親切にしてもらったし。魅力的な人もたくさんいて」
西園寺。七条。中嶋。丹羽。王城の人々は、纏う空気からして啓太とは違う。
大聖堂とは違う、もうひとつの世界が、あそこにはあった。
「大主教様にお話ししたいです。あ、この薔薇もお見せしなくちゃ。だから、今は早く大聖堂に帰りたいです。もっと色々、色んな事をたくさん考えたいし」
石畳を行く馬車は、ごとごとと揺れながら、啓太と篠宮を大聖堂へと運んでいく。王城よりも重々しくて厳格で、冷たい空気に満たされた、それでも大主教と篠宮がいるあの場所が、啓太の帰る家だ。
「…そうか」
幸せそうにすら映る啓太の様子に、篠宮もまた、座席の背もたれに身を預け、満足そうに息を吐く。
啓太が何かを得られた事と、啓太が帰る場所は大聖堂なのだと実感できた事と。
どちらがより、喜ばしい事なのか。それは勿論、啓太が成長する切っ掛けなりと得られた事だといつものように自身に言い聞かせて、そして、篠宮はその目を瞑る。

ごとごとと馬車は揺れる。一揺れ毎に、彼らの大聖堂は近くなる。



さあ、帰ろう。愛し我が家へ。




END



今回の登場人物−含・名前のみ登場(年齢推定)

大聖堂で育った孤児---啓太(14)
大聖堂特使。啓太の親代わり兼教育係---篠宮(27)
国王---丹羽(24)
宰相---中嶋(24)
丹羽の異母弟。王位継承権第一位---西園寺(19)
自称魔術師。西園寺の側仕え---七条(?)

別名:啓太、中嶋に目をつけられて大ピンチの巻。

薔薇の花を抱えた七条。子供を騙くらかす笑顔の中嶋。
「西園寺さんが?」と頬を染める啓太。篠宮vs中嶋の水面下戦争。
書きたかった(見たかった)画はそんなカンジで。

ちなみに作中、中嶋による七条を指す「奇術師」は、勿論、「きじゅつし」ですが、
ニュアンスとしてはマジシャンではなく、ジャグラーです。
そんな風に読んでいただけると嬉しいです。

ビミョー過ぎて、どーでもいい事かもしれません。








 ◆◆ INDEX〜FREUD