ヒゲは定番。お前の写真には何を書こう


取り敢えず、眼鏡はグラサンにしとく



ふとした弾みに、たまには真面目に仕事をしようという気になった丹羽が久しぶりに学生会室の扉を開けた。その事を丹羽は激しく後悔した。
やはり人間、慣れない事はするもんじゃない。



「中嶋さん、大好きです」
大層真剣な顔をした伊藤啓太が告白すると、
「ああ、俺も好きだぞ」
あっさりと中嶋英明が返した。
「これは、俺からの愛のプレゼントだ」
「…わーい。嬉しいなぁ」
新たな書類を山のように差し出され、一瞬固まった啓太はしかし、如何にも嬉しそうな様子でそれを受け取る。
うふふえへへと笑い合う二人の姿は、丹羽の目には異界のもののように映る。というか、本当に彼らは別人なんじゃないだろうか。中身だけ入れ替わってるとか。
パラレルワールドとか、会計部補佐の呪いとか某生物教諭の実験とか、幾つかの関連用語が浮いては沈み、沈んでは浮いた。
「…お前ら、今度は何のお遊び中?」
「え?何がですか?」
「そうだな。何がだ?哲っちゃん」
にこにこにこにこにこにこにこにこ。二人は笑い合っている。啓太のみならず、中島までもが。

何、この状態。

何を突っ込んでいいのか、そもそも突っ込んでいいのかが判らない。この場にいてもいいのかすら判らない。むしろ、この場にいたくない。
丹羽はただただ、いたたまれない。

「じゃあ、俺からも愛のお返ししなくちゃ」
うきうきとした口調の啓太が、既に啓太の定位置と化している作業台へと歩み寄りかけると、そちらに目は向けぬまま、中嶋はあっさりと返した。
「いや、気にするな。それはお前が受けておけばいい」
「えー…」
啓太は子供のように口を尖らせた。それを見ていた丹羽の視線に気づいたのか、啓太はふと丹羽へと顔を向ける。目が合った。
にっこり。
満面の笑みでもって、啓太は丹羽に対する。
「王様はコーヒーに牛乳入れますよね」
「牛乳なんてあるのか?」
「あるんです」
啓太は妙に嬉しそうに言った。過剰に嬉しそうである。浮かれていると言っていい。
そして啓太は、コーヒーよりも確実に多い量の牛乳を丹羽のカップに注ぎ込んだ。
成る程。コレが啓太の『愛』なのか。
お砂糖はどうしますか?との問いには首を横に振って、変にぬるい牛乳コーヒーをずびずびと啜る。既に中嶋にとっては顔を上げて確認する事もない位、決まり切った遣り取りであるらしい。
何やら、腹の奥でふつふつと沸くものを感じた。
啓太は自分の分らしい牛乳コーヒーに砂糖を入れて、かき混ぜている。
「相も変わらぬコーヒー牛乳か…」
顔を上げぬままの中嶋が、如何にも嫌そうに呟いた。先程までの笑顔はない。それは冷笑的で皮肉な、つまりいつもの中嶋だった。
「コーヒーの牛乳割りに砂糖入れたものですったら」
それを受けた啓太もまた、すんなりと対応を常のものに戻す。冗談。軽口のたたき合い。互いに指摘し合う程のものでもない。それはもう、彼等にとっていつもの事であるのだろう。今は唇を尖らせて中嶋に文句を言っているのに、嘘くさい愛情ごっこをしていた時よりもずっと親密そうに見える。
「………うーーーーー…」
言いたい事はたくさんある気がした。しかし、何を言うべきなのか判らない。何で、とか、どうして、とか。今あるこの感情をどう表現するべきだろう。諸々の感情が渾然一体となったこの思いの最も近い形は、ずるい、というものだったかもしれない。丹羽が気に入って懐に引き入れた啓太と丹羽の相棒である中嶋が、既に丹羽を介さない関係を構築している。それは悪い事ではない。どころか、いい事だ。あまり人を寄せ付けない中嶋が、気を許せる相手を見つけたというのは、喜ばしい事だ。何しろ啓太はいい奴だから。丹羽が一目で気に入った位だから。
「………………………うーーーーー…」
なのに、何かが納得できない。丹羽は、己の頭をがしがしと掻きむしった。
「…王様?」
見ると、傍らに寄ってきていた啓太が心配そうな様子でこちらを見ている。どうやら丹羽の挙動は、相当不審だったらしい。
「ああ、悪いな」
啓太の手にある中嶋のカップは、彼がそれを回収してきた事を示している。空になったカップをまとめて洗うつもりなのだと、流石に察する。己の手にある、とうに空になっていたカップを彼に手渡し、「美味かったぜ」と告げたら、嬉しそうな微笑みが返った。
「ちょっと牛乳多過ぎだったけどな」
軽く付け加えた丹羽の言に、啓太は悪戯っぽく笑う。
「そうですね。王様はこれ以上、大きくなる必要ないですもんね」
どうやら牛乳はカルシウム摂取のためだったらしい。
「啓太だって別に、小さくはないだろう?」
言うと、今度は眉を蹙めた。
「大きくもないです」
己の感情に正直な彼の表情は、相手のほんの一言に反応して変化する。
「俺、王様みたいに大きくなりたいです」
素直で真っ正直な彼の表情が、丹羽に対する好意を語る。ただ真っ直ぐに、それは届く。
先程までの腹立たしい思いは既に消えていて、代わりのように胸の奥にはむず痒い何かが生まれていて、こんな時、丹羽がいつも抱く、彼に何となく触れたいという気持ちは、それでもいつものように触れてはいけないのだという気持ちと入り交じって、丹羽は焦ったように視線を流した。その一瞬、丹羽の視線は中嶋の方へと流れて、いつの間にか顔を上げて二人の様子を見つめていた中嶋の様子を映して。
その時、中嶋の表情の中にある感情を丹羽は見た。見たと思った。
一瞬の間。
「…………ふーん」
にやにやと笑う丹羽に、苦虫を噛みつぶしたような顔をした中嶋が眼鏡のブリッジを押し上げる。丹羽と啓太を見ていたという事実を丹羽に気づかれたと判っていて、今更見ていなかった振りをするなどという事は中嶋のプライドが許さない。それが判っているからこそのからかいの笑み。
「……何だ、哲っちゃん」
「いーや。何にも」
憮然とした顔を見るまでもない。指摘され、面と向かってからかわれたら言い訳もできるのに、丹羽がそれを許さない事が腹立たしいのだ。それが理解できる程度には、丹羽は相棒である中嶋を知っている。


これからは、たまには学生会室に遊びに来ようかな、と思う。啓太はいつもここにいるし、もうちょっと牛乳を減らせば、牛乳コーヒーも美味しい。それに何より、プライド高いかっこつけが、啓太といると年相応くらいに見える。それが無性に楽しい。


いつもの鉄面皮とは違う顔を、表情のある顔を見に。
そう言ったら、中嶋はその眉根に深い深い皺を刻んで、「もう一生こなくてもいい」と言うかもしれないけれど。



END



隣の芝生はいつだって青く見えるものです。








 ◆◆ INDEX〜FREUD