冗談は冗談らしく、笑って言ってよ


冗談と言葉遊びと意地の張り合いに
ほんのちょっぴりの本音



もとより、大した会話もないここ学生会室である。中嶋より端的に業務が言いつけられ、啓太はそれを何も言わずに受け取る。淡々と仕事は進む。だからこそ、休憩のタイミングが取りづらい。作業に没頭したまま、何時間も経ってしまったりもする。今日も今日とて、椅子に座ったまま、啓太はうんと伸びをした。
「中嶋さん。コーヒーに牛乳入れますかー?」
「いらん」
啓太が問いかけ、中嶋が返す。それは、ここ最近の学生会室での決まり切った習慣であると言ってよかった。
既に常態と化した中嶋の返答を、そうですか、と受け流し、啓太は、自身のコーヒーに牛乳を注ぐ。真っ黒の液体に白いミルクを注ぐと浮かび上がる、ふわふわとした褐色と優しい薫りを堪能して、コーヒーにはこれだ、と親友がくれたブラウンシュガーを山盛り、匙に掬って。
学生会室でコーヒーに砂糖を入れるのは啓太だけだったから、牛乳同様、これも啓太の持ち込み私物だったのだが、親友の気遣いは啓太の決して潤沢とは言えない財布にもまた、優しかった。
実際、この砂糖を入れるととても美味しく感じられる。砂糖なんてどれも同じ、なんて今ではとても言えない。茶葉にだって、昔は同様に思っていたのだけれど、この学園に来てから、いつの間にやらすっかりグルメになっている気がする啓太である。
何だか幸せな気持ちになって、コーヒーをぐいぐい飲んでいたら、ふと視線を感じた。そして、今ここ学生会室には、啓太以外には一人しかいない。
顔を上げると、勿論、中嶋と目が合った。やっぱり牛乳を入れたい、という訳ではなさそうだ。そんな事を口にしただけで、その鋭利な弁舌でもって情け容赦なくけちょんけちょんにされるのは明白だと啓太でもすぐに判るような、中嶋はそんな顔をしていたので。
「…なんですか?」
言いたい事があるなら、はっきり言う。それが学生会の、ひいては中嶋のルール。勿論今回だって、中嶋からの返答はある。だから、何か言いたそうな、だけど言いたくなさそうなそんな顔をした中嶋をただ見つめた。
「…それは何だ」
如何にも嫌々ながらといった風情で視線を向けたのは、啓太のスペースである作業台の上に置かれたクマの砂糖壺。
「和希がくれたブラウンシュガーですけど。中嶋さんも使います?」
視線で殺されそうだった。
ちょっと言ってみただけなのに、とほんのり拗ねる。その感情のままにクマを指でつついてみたりして。
蜂蜜壺ならぬ砂糖壺を抱えた、妙に生真面目な顔をした青いクマは、愛嬌があってなかなか可愛い。しかも現在、壺の中身は高級な砂糖で一杯だ。癖のある独特の匂いがあって、啓太にはその匂いもまた好ましいのだけれど、それは砂糖の味が気に入ったからこそなのだろう。
あ。
「もしかして、砂糖の匂い、そっちまで届いてます?匂いが嫌だとか」
「いや。別にそういう訳じゃない」
「それじゃ、砂糖の持ち込みがまずかったですか?甘いもの持ってくるのがいけないとか」
「それだと、丹羽の抽斗は丸ごと廃棄だな」
学生会会長の執務机に付属する、通称『丹羽の抽斗』は、おやつが満載の夢の箱である。丹羽本人も、机の中のお菓子目当てに学生会室に立ち寄ったりもするから、中嶋も撤去させようなんてした事がない。
「別に批判している訳でもない。単なる怖いもの見たさだろう、多分」
『怖いもの見たさ』とは、どういう意味だろう。『多分』というのも、啓太にはよく判らない。しかし、中嶋にとってはそれで説明完了らしい。これで話は終わりとばかりに、再び眼前のPCへと向き直る。
クマちゃんが『怖いもの』?
啓太は砂糖壺を再びつつく。今度は先程までとは全く違った心境で、だったけれど。
壺に一杯の砂糖と牛乳。学生会の濃すぎるコーヒーをまろやかに穏やかに変えるアイテム達。
素っ気ない程に淡々とした中嶋の物言いも、だけど嘘偽りなく話してくれているのだと、今では啓太は知っている。
日常をほんの少し、視る角度を変えてみて、そうしたら今まで気づかなかったたくさんの事に気づけるかもしれない。砂糖を入れたコーヒーが存外美味しい事だとか。
「…中嶋さん、ちょっとこの砂糖、味見してみません?本当に美味しいですよ、これ」
和希のお墨付きです!と胸を張る。親友のお薦めだったら中嶋も興味を持ってくれそうだと思う。啓太自身も自分の味覚よりも彼の趣味の方を信用しているくらいだし。
しかし、中嶋は無情だった。
「砂糖を入れたコーヒーなんぞ、コーヒーじゃない」
にべもなく言い放つ、ものすごく主観的なその意見は、暴言の域だった。啓太は唇を尖らせる。
「えー。美味しいじゃないですか、砂糖入れると。コーヒーの味が引き立つというか、何というか」
「……お前のソレは、コーヒーじゃない」
表面上は全く無表情に淡々と、だけど相当げんなりしている風情で中嶋は言った。
「コーヒーですよ、ちゃんと」
目は口ほどにものを言う。嘘をつくな、と雄弁に語る中嶋の視線に、啓太は返す。
「コーヒーの牛乳割りです」
それでも続く沈黙に、啓太は更に言い直した。
「コーヒーの牛乳割りに砂糖を入れたものです」
しかし、中嶋はきっぱりと言い放つ。
「お前のソレは、コーヒー牛乳だ」
「コーヒーじゃないですか」
「いいや、違う」
中嶋が眼鏡のブリッジを押し上げる。角度が変わって、一瞬、眼鏡のレンズにある眼が見えなくなる。
「コーヒー牛乳は、『コーヒー牛乳』という飲み物であって、コーヒーとは別種の物だ。だからお前のソレは、コーヒーじゃない」
中嶋の論理は理路整然として明快である。だから、感情的な部分を別にするなら、彼の言は頷ける場合も多い。常であったなら。
「違いますよ、これはコーヒー!コーヒー牛乳を喜んで飲んでるなんて、まるで子供みたいじゃないですか」
啓太にとって、それは決して受け入れられない言葉だった。しかし、あくまでも中嶋は無情である。
「そのものだろう」
あっさりと言い切る。
「ちーがーいーまーすーっ」
反して、あくまでも啓太は真剣だった。いつの間にやら、すっかり仕事の手は止まっている。対する中嶋の手は淀みなくキーボードを叩き続けていたりして、それがますます腹立たしい。啓太の飲み物がコーヒーかコーヒー牛乳かなど、全く気にもならないとその態度が明言しているように思えて、そして啓太のその想像は全くの被害妄想という訳でもないと既に知っているから。
「糖分って頭が回転するのにも必要なんですよ」
「どれだけ摂取しても、お前程度にしか回転しないんだったら、意味はないな」
実際に糖分を取らずとも啓太の何倍も早く回転する頭脳を持った人間に言い切られ、はぐはぐと何度か口を開き掛けた啓太は結局口を噤み、作業台に突っ伏す。啓太は決して中嶋に口で敵わない。それは、常にそうだった。しかし、それが悔しくない訳では決してない。
「ううう」
ああ、一度くらい、中嶋にこんな気持ちを味わわせてやりたい。返す言葉もない、だけど何か言ってやりたいこんな気持ち。
「中嶋さんの意地悪ー」
それを呻き出すのが、せめてもの発散というものだ。その程度は認めて欲しい。いつもいつもいつもいつも、この日常に耐えているのだから。
「その割りには、毎日毎日せっせと通ってくるじゃないか」
中嶋一人が篭もっていると、学園では知らぬ者とてない学生会室に、学生会のスタッフでもないのに、当然のように顔を出し、そして仕事を手伝っていく。丹羽に『マゾっぼい』と揶揄された事すらある啓太のその行動を、中嶋は鼻で笑う。
一度くらい中嶋に味わわせてやりたい、返す言葉もない、そんな気持ち。啓太は心中、にやりとほくそ笑み、そして表面上は思い切り唇を尖らせた。

「いやですね。そんなの、中嶋さんが好きだからに決まってるじゃないですか」

しかし、中嶋はやはり中嶋だった。啓太の言に全く動じもしなかった。
「ほう、そうか。奇遇だな。俺もだ」
書類から顔も上げず、何でもない事のように言い放った。
そして、啓太の目は、点になった。


「………えええぇぇぇえ?!」


「中嶋さん、どうかしたんですか?何かあったんですか?!悪いものでも食べたとか?!!」
大変である。一大事である。あり得ない。全く、あり得ない。
「絶対、『バカ』呼ばわりされると思ってたのにーっ」
「……そういう事は最後まで口にするな」
常の如く愛想の欠片もなく、しかし常ならぬ腹立たしげな様子で中嶋は再び、眼鏡のブリッジを押し上げた。今度はその表情が隠れたりはしなかった。
「明らかに無理がある事象に対しても、堂々とした態度で押し通せ。いちいち顔色を変えるな、『バカ』」
腹芸一つできず、学生会が務まるか、との締め括りの言に、はっとする。
途中から、微妙に論点がずらされたのにもまた、啓太は気づかなかった。

…くっ。

心中にじんわりと広がる敗北感に、啓太は唇を噛み締める。中嶋に対しての、ではない。啓太は今、自分に負けたのだ。
「もっかい!もう一回お願いします!今度こそ、上手くやりますからっ」
コーチ!と続きそうな啓太の様子に、これ見よがしな溜息を吐きながら

本当に面白いな、このバカは。

中嶋の口元がほんのり緩んだ事を、そしてそれが密やかな甘さを湛えていた事を、啓太は知らない。



END



どこまでが真面目でどこからが冗談だったのか。








 ◆◆ INDEX〜FREUD