青い春は青褪めている


春は青龍。夏の朱雀。秋は白虎、冬玄武。
春は青く、夏は朱く、秋は白く、冬は玄い。
それが世の常、人の倣い。
春は、諸処が未成熟に青い。

青春とは。
全てがあまりに未熟な季節。



気持ちいい午後だった。うららかな日差しは、柔らかな木漏れ日を作りだし、下映えの草を暖める。このまま、眠ってしまいなさい、と甘く囁きかけるかのように。
丹羽は、大きく伸びをする。
その魅力的な誘惑に、乗ってはならぬ理由もない。
幸いにも、日々、静かな隠れ家の発掘に勤しむ丹羽には、このような日和にごろごろするに相応しい場所の心当ては、幾らもあった。
常の如く、学園の見回り、というには、人目に触れぬ道を選びつつ、鼻歌交じりに木立を越える。海からの風を防ぐための立木で囲まれた学園島には、幾つかの、林といっていい木々の群れが存在する。その中にでも、低木が茂る一角に、丁度いい具合に開けた場所があるのだ。
適度に木の陰となり、適度に光も入り、適度に人目から隠れた、ちょっとした空間は、目下のところ、丹羽のお気に入りスポットである。取りあえず、友人であり相棒であり、現在、学生会の仕事の大半を押しつけている中嶋に発見されるまでは。
周囲に誰もいない事を確認し、素早く掻き分けた低木の茂みに身を滑り込ませる。と、そのまま、丹羽の足は、動く事を止めた。あり得べからざる光景が、そこにあった。
丹羽しか知らないはずの隠れ家の中、ほかほかと暖まった下映えを寝床に、昼寝中の少年がひとり。
「……啓太?」
先客は、季節外れの転校生、学園MVP伊藤啓太その人であった。


別に、丹羽が立て看板を立てて、この場の所有を主張していたという訳ではない。当然であるが。
故に、誰がこの場にいてもいいのである。それは、丹羽のものではないのだから。
ただ、誰も気づかないだろうと思っていた場所で、事実、今までは他の誰にも気づかれてはいなかった。それは、断言できるところだ。なのに何故、この少年には、気づかれてしまうのだろう。
この場所に限った話ではない。今までにも幾度か、それはあった。丹羽が心地よいと思う場所に、この少年は現れる。
「綺麗ですね」
「気持ちいいですね」
「ここって、すごく静かで、俺、好きなんです」
シンプルで、飾り気のない、それ故に本心であると判る言葉は、まさに丹羽の心境そのものをもまた、表していて。
彼は恐らく、丹羽との距離が、とても近い。選ばれた者の集うこの学園の中枢そのものである学生会会長、学園のカリスマ、王様、と呼ばれる彼には、作ったという訳でもない表向きの、社交的な一面の他に、他人と交わらない、自分だけの時間を愛する部分が確かに存在し、そして、それは、自称取り柄は運の良さだけ、という、素直で正直で善良な、そして、不思議と人を惹き付けるこの少年の中にも恐らく、存在しており。
そういえば、釣りに連れて行ったなんて事もあった。そんな事をしたのは、この少年が初めてだった。そして、常に独りである事を楽しむその時間、彼が傍らにいる事を楽しんだ。
一人になりたい時間と空間の中で、この少年の存在は、そのまま自然と、丹羽に許容されていたのだった。
現在もまた、丹羽は眠る彼の横に腰を下ろす。
別に、二人でいるには狭すぎる、という程に狭い場所な訳ではない。
すごく、近くに寄らなくてはならないけれど。
間近で見ると、茶色い癖毛は、思っていたよりも柔らかそうだった。彼を表情豊かに彩る瞳は、薄い瞼に伏せられて、頬に影を落とす睫毛は、思いの外長い。少し上向きの小さな鼻、まるっきり子供のような、ぷっくりとした唇。
一瞬、指先でなぞりたい衝動に駆られる。彼と共にいる時、彼が丹羽に笑いかけた時、一度ならず、覚えた事のあるそれは感情で、だけどその思いが丹羽を支配し、丹羽に自制を失わせた事はない。現在も、それはまた。
丹羽は、己の感情に素直な質だった。自身のそれを信頼していたと言っていい。しかし、それ以前に、本能的な直感のようなものには、無条件で従う事にしていて、友人に、野生動物、とすら揶揄される丹羽の感覚は、コレには触れるな、と告げていた。
多分、そういう事なんだろうと思う。
生物教師海野を引き連れた、地獄からの使者、悪魔の創造物、物体Xのように、決して近寄ってはならない、というものではなくて。
丹羽にとって、彼の全てを跳ね返す壁そのものである父のように、いつかは乗り越えるだろうものでもなくて。
まふまふとした茶色い癖毛が柔らかそうで、素直な好意と賛嘆とが溢れる瞳は、物怖じすることもなく、真っ直ぐに丹羽を映し出す。人懐こい笑顔の一年生。


彼が、このままでいるように。
己が、このままでいられるように。
この関係を崩さぬように。


丹羽は、彼の横に寝転がった。
すると、丹羽の体が丁度いい風除けにでもなったのか、より一層の暖かさを求めて、少年は丹羽の方へと体毎向き直り、その身を丸めながら、擦り寄ってきた。
手を伸ばせば、届く距離。
彼の頭を撫でてやって、軽く引けば、苦もなく丹羽の胸元に転がってくるだろう。
今、この時に手を伸ばせば。


その暖かな体温と、それのもたらす想いを思って、丹羽はそっと目を閉じる。その口元に、確かな幸福の微笑みを浮かべながら。
両の手を枕として、しっかりと己の頭の下に敷いたまま。


それは、水面に映った月のようなものだったかもしれない。
実体はなく、ただ褪めた光があるだけ。ただ、青いままの果実は、決して熟さない。
しかし、だからこそ、それは永遠である。


木々の緑と下映えの匂いを含んだ風が通り過ぎた。うららかな日差しが、午睡への誘いをかける放課後。


常に変わらぬ穏やかさだけが、そこにある。



END



王様×啓太は、プラトニックがいいな、と思う次第。
恋愛以前。恋愛未満。友情以上?そういう微妙な関係っていいよね。








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